ゼロアートのAkkoです。
私の好きなアーティストのひとりが、
19世紀イギリスのロマン派、風景画家 ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー
です。「色彩の魔術師」、「光の画家」とも評されました。
今回は、ターナーの人生と代表作について
ご紹介したいと思います。
目次
1、【3P分析】ターナーについて
それでは早速ターナーについて、3Pで概観していきましょう。
◆Period(時代)
・18世紀後半から19世紀前半にイギリス・ロマン派の画家として活躍
・イギリスでは産業革命により、近代化が進み、蒸気船、蒸気機関車という新しい交通手段が登場し、
・旅行ブームにもなった時代でした。
・この時代のイギリスでは、「ピクチャレスク」と「崇高」という美学が広まっていました。
※ピクチャレスクとは、「絵にしたならば心地よいたぐいの美」
=(引用)もっと知りたいターナー生涯と作品より=
◆Place(場所)
・イギリスのロンドン中心部のコベントガーデンで生まれ、イギリスで活躍し、生涯を終えました。
・「旅する画家」であり、イギリス国内、ヨーロッパ大陸を旅行し、多くのスケッチを制作します。
・ヴィネチアで魅了された「光」が、新たな探求テーマとなりました。
◆People(人)&piece(代表作)
・1775年4月23日に生まれ、1851年12月19日に亡くなります。76歳の人生でした。
・幼いころから画才があり、最年少26歳でロイヤルアカデミーの正会員となります。
・あらゆる固定的法則を打ち破り、「光」と「色彩」を追求し、批判を受けながらも独自の手法で描きつづけました。
・文化後進国だったイギリス美術界の発展を強く願っていました。
・死後、遺言により、約300点の油彩画と2万点近くのデッサン、スケッチがナショナルギャラリーに収められました。
・代表作には《雨、蒸気、速度―― グレート・ウェスタン鉄道》、《議事堂の火災、1834年10月16日》、《解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号、1838年》などがあります。
以上が、ターナーに関する基本的な情報になります。
2、ターナーを「ストーリー分析」で読み解く!5つのステップ
さて、ターナーはどのような人生を送ったのでしょうか?
「ストーリー分析」を使って5つのステップで、その人生を辿っていきたいと思います。
それでは、順にみていきましょう。
【ステップ1】旅の始まり「どうやってアーティストとしての人生が始まった?」
・父親がターナーの非凡な画才に気づき、14歳でロイヤル・アカデミーに入学
ターナーは、ロンドン中心地の繁華街で、理髪店を営む家庭に長男として生まれます。
10歳でロンドン郊外の母方の叔父に預けられます。3つ下の妹が5歳で亡くなって、母の精神の病気が悪化したためです。ターナーはそこでスケッチを始め、風景に関心を深めます。
父がその非凡な画才に気づき、ターナーの水彩素描を店のウインドウに並べて販売しました。
14歳で、建築画を専門とする風景画家トマス・モールトンに師事し、ロイヤル・アカデミーに入学します。入学した翌年には、水彩画でロイヤルアカデミー展にデビューします。
【ステップ2】メンター、仲間、師匠「どんな出会いがあった?」
ターナーは人間嫌い、偏屈だったともいわれますが、ロイヤル・アカデミーなどで出会った仲間たちと切磋琢磨しあい、有力なパトロンに支えられました。生涯独身ではありましたが、芸術活動を支える存在もいたようです。
なかでも、ターナーの画家人生に大きく影響を与えた人物、3人を紹介します。
・遠近法の師匠 トマス・モールトン
建築画を専門とする風景画家。
ターナーは初めて素描を学び、遠近法を抜群に習得しました。そして、ターナーは32歳で、ロイヤル・アカデミーの遠近法教授に就きます。
・ターナーの芸術観の基盤 サー・ジョシュア・レノルズ
ロイヤル・アカデミー初代院長。
古典が重要であり、歴史画がもっとも重要と説き、ターナーに理論面で決定的に影響を与えます。
絵画の様々な様式、巨匠作品の模倣、芸術への知的アプローチ、絵画と詩との関係など学びました。
ターナーは、彼を尊敬し、遺言で、死後はセント・ポール大聖堂の彼のお墓の横に埋葬を希望し叶えられます。
・フランス バロックの画家 クロード・ロラン
ローマで活躍したフランスの画家。格調高い理想的風景画家の第一人者。
ターナーにとって、油彩画を学ぶ上での手本であり、風景画制作の究極の目標でした。
ターナーは、クロード・ロランの《海港 シバの女王の乗船(1648)》の絵の前で、「このような絵はかけない」と涙したといわれ、これ以降、「光」に可能性をみつけます。
【ステップ3】試練 「人生最大の試練は?」
若い時から才能を認められ、成功していたターナーですが、ターニングポイントとしては以下の2つではないかと思います。
1.早くに才能認められるも水彩画家だった
ターナーは、アカデミーでの修行のかたわら、先達たちの水彩風景画技法をとてもよく研究しました。
研究の場として、精神科医で裕福なコレクターかつアマチュア芸術家でもあるトマス・モンロー博士が自宅で開いていた私的アカデミーに参加し、才能ある同い年の画家トマス・ガーティンと切磋琢磨しました。結果、早くから才能を認められ、わずか数年で名声を手に入れます。
ちょうどこの頃、水彩画家協会(1804)の設立やイギリス人の水彩画への関心の高まりもあり、顧客も徐々に増えていきました。また、18世紀末に水彩絵具の改良により、今まで描くことができない様々な題材、場所での制作も可能になったことも幸運でした。
ただ、画家の本流は、油彩画だったため、画家として名を残すためには、油彩画で認められるしかありませんでした。
2.父の死
1829年、ターナー54歳のときに、父親が亡くなります、85歳でした。おしゃべり好きで愛想もよく、献身的にサポートしてくれた父との絆は深く、ターナーに強い喪失感をもたらしました。ターナーの孤独癖をより一層強める一因となった、ともいわれます。
【ステップ4】変容・進化 「その結果どうなった?」
1.史上最年少でロイヤル・アカデミー正会員になり、伝統から新たな表現へ
ターナーは油彩画に取り組むため、油彩画の伝統や技法を丹念に研究しました。
1796年に初めての油彩画《海上の漁師たち》をロイヤル・アカデミー展に出品します。ターナーの油彩画は注目を浴び、水彩と油彩の双方で認められ、1799年には史上最年少24歳でロイヤル・アカデミーの準会員に選出されます。そして、1801年には《疾風のなかのオランダ船》をロイヤル・アカデミー展に出品し大評判となりました。その結果、1802年に史上最年少26歳でロイヤル・アカデミー正会員となります。
ターナーの美的表現は、当時流行していた「ピクチャレスク」と「崇高」が中心で、すでに多くのコレクターを抱えていました。若くして、資産家の仲間入りも果たしたのです。
ナポレオン戦争終結後、1802年7月に初めてヨーロッパ大陸旅行に出かけます。アルプス、パリを体験し、パリでは中央美術館(現ルーブル美術館)で、オールドマスターの作品を研究し、作品へ反映していきます。
イタリア旅行のヴィネチアでは、光に満ちた大気に魅了され、作品も変化していきます。
そして、自分がアカデミーで教える遠近法も自作で守ることはなく、あらゆる固定的法則を打ち破っていきます。
色彩が中心となり、写実的なものから対象の輪郭が定かではない印象的、抽象的表現となっていきます。大胆な色彩や筆遣いで、光、大気、自然のエネルギーを表現したのです。当然批判は高まりますが、その声にも臆さず、最晩年まで次々に新たな表現を続けていきます。
1830年代後半頃からは、ターナーが自然や社会に対して感じたものを既存の枠組みに縛られず率直に描き出すようになります。例えば、ニュースを主題にした時事性のある作品、他の芸術家が目を向けない近代技術の鉄道などをテーマに描きました。
2.遺言書を作成し、イギリス美術の発展を願う
ターナーは、文化後進国だったイギリス美術を大陸の伝統的な美術水準まで引き上げることを目標にし、イギリス美術の発展を願っていました。
ターナーは、父の死をきっかけに、最初の遺言書を作成し、以来、何度もその内容に手を加え、最終的には、自分の作品をまとめて展示することを条件に、すべての絵をナショナル・ギャラリーへ遺贈することを決意します。
【ステップ5】使命 「結局、彼/彼女の使命はなんだった?」
・オールドマスターを超えた近代美術表現の先駆者
ターナーは、イギリス美術を大陸の伝統的な美術水準まで引き上げることを目標に、丹念に伝統を学びます。そして、光と色彩、大気に魅了され、独自の道を貫きました。こうして、ヨーロッパ大陸より早く産業技術が発展し繁栄していたイギリスにおいて、近代美術のような印象的、抽象的な表現を生み出すに至ったのです。結果的にターナーは、追いつこうとしたヨーロッパ大陸の美術を超えて先人となったのです。
ターナーは、ひっそりとこの世を去りました。そして、大胆な表現なため敬遠されがちになっていたターナーの作品を美術批評家のジョン・ラスキンが『近代絵画論』で擁護します。
ターナーの影響はなかなか現れませんが、1870年代にフランスの印象派の画家たちがロンドンを訪れるようになり、ターナーの独特の色彩や光が、19世紀末の多くの芸術家に影響を与えていきます。
そして、現代美術における世界有数の賞のひとつであるターナー賞は、画家ターナーの名に因んで命名されました。このことは、ターナーが、イギリス美術を変えた画家であることを間違いなく物語っています。
3、ターナーの代表作10点を紹介
ターナーの人生をストーリー分析でみてきましたがいかがでしたでしょうか?
ここでは、10点の主要な作品をご紹介したいと思います。
①海上の漁師たち
②疾風のなかのオランダ船:魚を船に運び上げようとする漁師たち
③大洪水
④グリゾンの雪崩
⑤吹雪:アルプスを越えるハンニバルと軍隊
⑥カルタゴを建設するディド、あるいはカルタゴ帝国の興隆
⑦ヴァティカンから望むローマ:
ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエッロ
⑧議事堂の火災、1834年10月16日
⑨解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号、1838年
⑩雨、蒸気、速度―――グレート・ウェスタン鉄道
*
いかがでしたか?
今回は、ターナーの人生と代表作10点をご紹介しました。
今夏、国立新美術館で「テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ」が開催されます。
これからの展覧会を前に、ターナーの人生、そして作品から彼が追求したものについて感じていただければ幸いです。
そして、実際に展覧会に足を運んでいただき、彼が表現したかったものを実際に体験していただければと思います。
参考文献:「ターナー ―色と光の錬金術」オリヴィエ・メスレー著、藤田治彦監修、「もっと知りたいターナー 生涯と作品」荒川裕子、「ターナー 近代絵画に先駆けたイギリス風景画の巨匠の世界」藤田治彦、「西洋美術史」木村泰司著、「名画で学ぶ経済の世界史」田中靖浩著、「美術でめぐる西洋史年表」池上英洋、青野尚子著