ゼロアートのMisaです。
今回は、20世紀美術の巨匠といわれているアンリ・マティスについてご紹介します。
マティスは、大胆な色彩と荒々しいタッチでフォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在でした。
また、自身の感情や感覚を独自の色彩で表現したことから「色彩の魔術師」と謳われています。
そのマティスの人生と代表作について紹介していきます。
目次
1、【3P分析】アンリ・マティスについて
それでは早速マティスについて、3Pで概観していきましょう。
◆Period(時代)
・マティスが活躍した時代は、主に20世紀初頭から中頃にかけてです。
・フォーヴィスム(野獣派)の画家に分類されます。
・パリの街が近代化し、「ベルエポック」と呼ばれる黄金時代から、第一次世界大戦が勃発し世界戦争の時代へと入っていった激動の時代でもありました。
◆Place(場所)
・フランスの北部、ル・カトー=カンブレジに生まれ、父親が商売を営むボアン=アン=ヴェルマンドワで育ちます。
・南フランスの陽光に魅せられたマティスは、ニースとパリを主な活動の拠点とします。1943年には、ニースへの爆撃を避けて一時期ヴァンスに移り住み、その後ニースで生涯を終えました。
◆People(人)& Piece(代表作)
・1869年12月31日に生まれ、1954年11月3日に亡くなります。84歳の人生でした。
・穀物などを扱う商人の家庭に3人兄弟の長男として生まれます。
・絶え間なく旅をし、ロンドン、アルジェリア、イタリア、スペイン、モロッコ、アメリカ、タヒチなど、行く先々で自然の中の混じりけのない色や光に魅了されます。
・自然をこよなく愛したマティスのアトリエは、観葉植物や草花で溢れ、多い時は300羽もいた鳥たちがさえずり飛び交っていました。
・絵画に加え、彫刻やドローイング、版画、切り紙絵、晩年には総合的な空間装飾としての南仏ヴァンスの礼拝堂など、多岐にわたり制作活動をおこないました。
・代表作には、「豪奢・静寂・逸楽」「帽子の女」「ダンス」「赤いアトリエ」などがあります。
以上がマティスに関する基本的な情報になります。
2、マティスを「ストーリー分析」で読み解く!5つのステップ
さて、マティスはどのような人生を送ったのでしょうか?
「ストーリー分析」で、その人生を辿っていきたいと思います。
それでは順にみていきましょう。
【ステップ1】旅の始まり「どうやってアーティストとしての人生が始まった?」
▪母親から贈られた画材をきっかけに天職に目覚め、画家への転向を決意する。
裕福な穀物商人の家庭に生まれたマティス。両親は息子が法律家になることを望んでいました。
18歳になると父親の意向でパリに出て法律を学びます。その後、故郷近くのサン=カンタンに戻ると法律事務所の見習いとして働き始めます。
しかし21歳の時、虫垂炎を患い1年ほど療養します。その時に母親から贈られた画材、これがきっかけとなり「楽園のようなもの」を発見したマティスは、画家の道に進むこと決意します。
再びパリに戻り、1891年、22歳で私立美術学校アカデミー・ジュリアンに入学します。しかしこの決断は、父親を激しく失望させました。
学校ではウリアム・ブーグローに学ぶも、アカデミックな教育に馴染めず、国立美術学校エコール・デ・ボザールへの入学を目指していきます。
【ステップ2】メンター、仲間、師匠「どんな出会いがあった?」
マティスには、彼の作品や人生に欠かせない出会いがたくさんありました。
生涯を通して固い友情を結んだジョルジュ・ルオーや、ゴッホやゴーギャン、シニャックからの影響。ともに野獣派と呼ばれたアンドレ・ドランや画家仲間たちなど…。
その中からあえてギュスターヴ・モローとポール・セザンヌ、パブロ・ピカソの3人を
ご紹介します。
▪恩師ギュスターヴ・モローの個性を尊重する教育
1892年、聴講生としてモローの教室に入ります。エコール・デ・ボザールの教授をしていたモローは、入学が許可されなかったマティスの熱意を買い特別に指導していきます。
モローはルーブル美術館での模写を通して巨匠の作品から学ばせる一方で、自由に絵を描かせるなど、保守的な考えにとらわれない個性を尊重した指導をしていきます。
1895年、エコール・デ・ボザールに合格し正式にモローのアトリエに入ります。モローの教室には、ルオーの他にもマルケやマンギャンなど野獣派で活躍した画家たちがいました。
▪「近代美術の父」ポール・セザンヌ
1906年にセザンヌが亡くなる前後から、パリではセザンヌの絵画に対する関心が高まります。
ピカソはセザンヌを「我々の父」と敬愛し、マティスは「絵の神様」と崇拝しました。
そしてマティスは、セザンヌから色彩や構図、感覚など多くのことを学び吸収していきます。
生活が苦しかった時期、セザンヌの小さな水浴図《3人の水浴の女たち》を手に入れたマティスは、それを画家としての心の支えとして37年の間大切に持っていました。
▪宿命のライバル、パブロ・ピカソ
36歳の時、アメリカの美術収集家ガートルード・スタインの仲介でピカソと出会います。当時ピカソは26歳でした。
キュビスムの創始者であるピカソと、フォービスムと呼ばれたマティスは、同じ時代を生きた唯一無二の友人であり、時に競い合う宿命のライバルでもありました。
セザンヌから大きな影響を受けた二人は、ピカソは主に形態に、マティスは色彩に独自の絵画
世界を広げていきます。
【ステップ3】試練 「人生最大の試練は?」
▪経済的な困窮、個展の低評価、サロンでの酷評
1896年、サロンに出品した作品のうち1点が国家買い上げとなります。
その後結婚し家族が増えますが、絵が売れず経済的困窮に陥り1902年には一家は故郷へ戻ります。
1904年、初めての個展も良い評価が得られませんでした。
しかしその年の夏、シニャックに誘われ南仏で制作したのをきっかけに、それまでとは異なる点描画に影響を受けた作品を制作します。
翌年には画家仲間のアンドレ・ドランとコリウールで過ごし、制作した作品を秋のサロン・ドートンヌに出品します。
サロンの第7室には、同じ傾向の画家たちの作品が展示され、それら作品の単純化された形態や強烈な色彩、激しいタッチをみた批評家のルイ・ヴォークセルが、「フォーヴ(野獣)の檻の中にいるようだ」と酷評したことでフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれるようになります。
▪自身の健康問題
1941年、72歳の時に十二指腸癌を患い手術を受けます。
手術は成功するも、後遺症から3か月間寝たきり状態になったマティスは、ベッドの上で紙とはさみを使った制作をしていきます。
これが、のちの切り紙絵、カットアウトへとつながります。
【ステップ4】変容・進化 「その結果どうなった?」
これらの試練を、マティスはどのように乗り越え、変容していったのでしょうか。
早速、見ていきたいと思います。
▪独自の色彩表現
画家としての出発も遅いうえに、評価されない時期も続きましたが、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなど先人たちの影響を受けながら模索していきます。
「他人の影響を避けたいと思ったことは一度もありません」と語っているマティス。
別の個性から影響を受け学び向き合う中で、独自の色彩表現「目に映る色彩ではなく心が感じる色彩」を自由に表現し始めます。
そして大胆な色彩とタッチを特徴とするフォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる作品を生み出し、色彩を「現実の色」から解放しました。
しかし、フォーヴィスムとしての活動はわずか数年ほどで終わります。
マティスはその後も独自の色彩の探究を続けていきますが、比較的落ち着いた心地よい作品を描くようなります。
1908年に発表した「画家ノート」で、自身が求める芸術は、人々の心や体を癒す良い肘掛け椅子に匹敵するものであると述べています。
▪新たな表現「切り紙絵」
大病を患い体力が衰えたマティスは、ベッドの上や車椅子などでの制作活動を続け、切り紙絵という新しい表現を切り拓きました。
そして、助手によって色とりどりに彩色された紙を切り抜いて貼り合わせる制作方法で、晩年も多くの作品を残し、より線の単純化、色彩の純化を追求していきました。
【ステップ5】使命「結局、彼/彼女の使命はなんだった?」
▪感覚や感情を豊かな色彩で表現した20世紀美術の革新者
19世紀の中頃からフランスの美術業界では、印象派やポスト印象派、新印象主義など様々な美術様式が生まれます。
それらの影響の中でマティスは、大胆な色彩や線の単純化、自由なフォルムで自身の感覚や感情の表現を追求し独自の絵画世界を確立しました。
その豊かな色使いと独創的なデッサン力で今もなお「色彩の魔術師」と謳われています。
晩年は切り紙絵の手法が中心となりましたが、亡くなる直前まで表現し続け84歳の人生を終えました。
視覚芸術に革新的な発展を促したマティスは、抽象表現主義の成立に貢献したハンス・ホフマンや、ポップアートのアンディ・ウォーホルなど 後世のアーティストにも大きな影響を与えました。
3、マティスの代表作10点を紹介
マティスの人生をストーリー分析で見てきましたがいかがでしたでしようか?
ここでは、10点の主要な作品をご紹介したいと思います。
① 豪奢・静寂・逸楽
② 帽子の女
③ 赤のハーモニー
④ ダンスⅡ
⑤ 赤いアトリエ
⑥ カスバの門
⑦ 金魚鉢のある室内
⑧ 赤いキュロットのオダリスク
⑨ 《ジャズ》より「コドマ兄弟」
⑩ 大きな赤い室内
以上、マティスの生涯と10点の作品をご紹介しました。
今春から東京都美術館で「マティス展-HENRI MATISSE:The Path to Color-」が開催されています。
また、2024年には、「マティス自由なフォルム」展が国立新美術館で開催決定しました。
これからの展覧会を前に、マティスの人生や作品から、何よりも追求し表現しようとした「感情」や「感覚」を少しでも感じて頂けたら幸いです。
参考文献:「マティス」高階秀爾、 「もっと知りたいマティス」天野知香、
「アンリ・マティス」ユリイカ5月号