こんにちは!ゼロアートのMickeyです。
今回は「ルネサンス美術様式」について、ご紹介します。
目次
1、ルネサンス美術とは?
ルネサンスを3つのPの観点から整理すると以下の通りとなります;
ルネサンス美術とは、
◆Period(When?)
14世紀〜16世紀までの約300年の間に
◆Place(Where?)
イタリア・フィレンツェを中心に興り
◆People(Who?)
レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロなどの稀代のアーティストが輩出された
美術運動です。
ルネサンスを代表するアーティストは、たくさんいますが、活躍した時期別に見ていくと以下の通りとなります;
◆ルネサンス黎明期(1300〜1400年ごろ)
・チマブーエ(1240年〜1302年ごろ):聖母と天使たち 1270頃 ルーヴル美術館
・ジョット(1267年〜1337年ごろ):『ユダの接吻』スクロヴェーニ礼拝堂(1305年頃)
絵画の夜明けの流れが始まったのち、以下の三大巨匠(ブルネレスキ、マサッチオ、ドナテッロ)にバトンが受け継がれていきます。
◆初期ルネサンス期(1400–1495年)
・建築家・ブルネレスキ(1377年 – 1446年4月15日)
- 遠近法を発明
- 代表作:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(1436年完成)
・画家・マサッチオ(1401年12月21日 – 1428年)
- ブルネレスキの遠近法を、絵画に応用
- 代表作:「貢の銭」(1420年代、フレスコ、247×597cm、ブランカッチ礼拝堂)
・彫刻家・ドナテッロ(1386年頃 – 1466年12月13日)
- 彫刻への透視図法
- 代表作:ダヴィデ像(1440年頃、ブロンズ、158cm、バルジェロ美術館)
上記の人々に加え、ヴェロッキオが登場し、ボッテチェリやダ・ヴィンチといった優れた弟子たちを輩出していきました。
・サンドロ・ボッティチェリ(1445年-1510年)
- 代表作:「プリマヴェーラ」(1482年頃、テンペラ、203×314cm、ウフィツィ美術館)
◆盛期ルネサンス期(1495–1520年)
ルネサンスの三万能人として、あまりに有名な三人は、以下の通りです;
・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日 – 1519年5月2日)
- 代表作:「モナ・リザ」(1503ー19年頃、油彩、77×53cm、ルーブル美術館)、「最後の晩餐」(1495-98年、テンペラ、420×910cm、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院)
・ミケランジェロ・ブエナローティ(1475年3月6日 – 1564年2月18日)
- 代表作:「ダヴィデ像」(1501-1504年、大理石、517cm、アカデミア美術館)、「サン・ピエトロのピエタ」(1498-1500年、大理石、174cm、サン・ピエトロ大聖堂)
・ラファエロ・サンティ(1483年4月6日 – 1520年4月6日)
- 代表作:「アテナイの学堂」(1509-1510年、フレスコ、バチカン宮殿)
◆「ルネサンス」とは?ルネサンスの意味
ルネサンスとは、「再生・復活」の意味ですが、
それは、「ギリシャ・ローマ文化」を復活させようという動きであり、
「個性を尊重し、人間性を解放する」という動きのことを指します。
逆に言えば、ルネサンス以前は、
「神こそがすべてである」
という価値観が世界を覆っており、
キリスト教の教えがすべてでした。
このような時代を「暗黒時代」と称することがあります。
これは、つまり、
「人間らしく生きる」などという人間性を重視する発想が無かったことを意味します。
しかし、このような風潮が少しずつやわらぎ始めます。
では、このような芸術運動としてのルネサンスは、
どのようにして生まれてきたのでしょうか?
次章でその成り立ちについて詳しく見ていきたいと思います。
2、ルネサンス美術はなぜ、どのようにして生まれたか?
なぜ、どのようにして、ルネサンスが生まれたのか?
結論から言えば、以下の図の通りとなります;
ルネサンスが興る背景として、大事な3つのドライバー(要因)は、
①キリスト教会の衰退
②十字軍遠征
③ビザンツ帝国へのオスマン帝国による侵攻
です。
①キリスト教会の衰退
13世紀にローマ教皇は絶大な権力を持つようになり、
「教皇は太陽、皇帝は月」
と称するほどの栄華を極めていました。
しかし、十字軍遠遠征が失敗して以降、百年戦争の勃発や黒死病の流行等が、ローマ教皇の教皇権の衰退を招きました。
これによって、「キリスト教が絶対」という「神中心の世界」に、
少しずつ「人間の自由」という隙間が生まれてきました。
そして、その隙間に、以下の異なる文化や世界が入り込んでいったのです。
②十字軍遠征
十字軍遠征とは、キリスト教徒が、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するためにおこなった遠征のことです。
この十字軍遠征はルネサンスを生み出すのに大きな影響を与えました。
それが、東方貿易です。
約200年の間に7回の遠征がおこなわれた十字軍遠征という名の「大移動」は、西洋にとって、新しい文化に触れる貴重な機会となりました。
そして、そのような新しい物の中には、西洋にとっては珍しい、香辛料や絹織り物などの品がありました。
これを持ち帰り販売することで、東方との貿易が開始され、
その結果、イタリアを中心に、大きな富がもたらされるようになっていきました。
これがメディチ家のような巨大資本を持ったパトロンを生み出していきます。
東方貿易により生み出された経済発展の結果、富の蓄積へとつながり、芸術への投資を可能としていったのです。
また、西洋よりも文化的にも進んでいた東方との交流は、ルネサンスという文化・芸術面における「刺激」となり、ルネサンスを形成していきました。
③ビザンツ帝国へのオスマン帝国による侵攻
以上の状況に加え、1453年にビザンツ帝国(ギリシャ等の東ローマ)が、オスマン帝国に滅亡させられます。これにより、ギリシャの知識人や芸術家たちがイタリア・フィレンツェ等に逃れていきました。
結果として、ギリシャ人の知識層たちが、花開き始めたルネサンスを推し進める大きな刺激となり、
ダヴィンチやミケランジェロなどが活躍する「盛期ルネサンス」を形成していきました。
3、ルネサンス美術の3つの特徴(3K)
さて、ルネサンスについて、私の著書「論理的美術鑑賞」の中でも紹介している「3K」というフレームワークで読み解いていきたいと思います。
3Kとは、「革新(KAKUSHIN)」「顧客(KOKYAKU)」「競争・共創(KYOUSOU)」の3つです。
ひとつずつご紹介していきます。
① 遠近法発明や油彩技術の発展による絵画技術の革新(KAKUSHIN)
遠近法の発明により、絵画表現に劇的な革新が見られるようになりました。
・初期ルネサンスの三大巨匠のひとりである建築家・ブルネレスキによる建築の遠近法発明
・これを絵画に応用して絵を描いたマサッチオ
その結果、ルネサンス以前は、稚拙で平面的だった絵画の表現が、
精緻でリアルな表現へと変貌を遂げたことで、ようやく「西洋絵画の世界」が夜明けを迎えました。
加えて、油絵の具の技術が確立されたことにより、光沢や奥行きのある表現が可能となりました。
これに伴い、絵画は美的に劇的な進化を遂げました。
② メディチ家というパトロンの存在(KOKYAKU)
フィレンチェで銀行業等で成功していたメディチ家は、15世紀ルネサンスを牽引したもっとも有名なパトロンでした。
メディチ家は、アーティストを庇護し支援することで、建築や絵画、彫刻の発展を後押ししました。
③ 切磋琢磨するライバルたち(KYOUSOU)
最盛期には、ルネサンスの三万能人が奇跡ともいえるタイミングでクロスし、お互いに切磋琢磨していました。
15世紀、イタリアは小国同士が争いを繰り返し、さらに、15世紀末からはイタリア戦争が勃発し、戦乱の激動の世の中でした。
また、ミケランジェロがダ・ヴィンチをライバル視していたことは有名です。
同時代に生まれた二人の天才は、お互いにその技量を高め合い、共にルネサンスという文化を共創した運命のタイミングだったと言えます。
以上がルネサンス美術の概要です。
いかがでしたでしょうか?
次回は、ルネサンス美術に続く美術様式である「マニエリスム」について概要を見ていきたいと思います。