こんにちは! ZEROアートのMickeyです。
今回は、東ローマ帝国(現在のトルコ)の首都コンスタンティノープルで生まれたビザンティン美術について紹介します。
4世紀頃、ローマ帝国は、東と西で領土が分断され、政情が混乱していました。
その時にキリスト教が広まり、初期キリスト教美術が誕生しました。
[初期キリスト教美術の記事はこちらから!]
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初期キリスト教美術とは何か?その特徴、背景、作品をまとめて紹介!
5世紀に入るとローマ帝国の中心地が西から東へ移ります。東ローマ帝国は、イタリア半島にまで領土を拡大していき、占領下であったギリシャから伝わるキリスト教と、ペルシャ文化の両方の影響を受け、ビザンティン美術が生まれることになりました。
正に
【東ローマ帝国の宗教美術】
と一言で表せるでしょう。
早速、ビザンティン美術についての大まかな内容について3つの点から、見ていきます。
目次
1、ビザンティン美術を3つのPから解説!
◆Period (When?)
4世紀~15世紀頃
◆Place(Where?)
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の都市コンスタンティノープル
◆Pieces (What ?)
・サン・ヴィターレ聖堂
・ユスティニアヌス帝と随臣
・ハギア・ソフィア聖堂
・キリストのイコン
5世紀に、東ローマ帝国の都市コンスタンティノープルで建設された教会や
キリストにまつわる絵画がビサンティン美術の特徴です。
それでは、どんな時代背景から生まれた美術なのか。次の章で解説します。
2 時代背景は?4つの観点から分析!
【1】政治的背景:Politics
中央集権国家的な政治体制
西ローマ帝国が476年に滅亡し、東ローマ帝国は力を強め、ローマ帝国の中心地、コンスタンティノープルが都となります。王となったユスティニアヌス大帝による中央集権的な国家が築かれました。
ユスティニアヌス大帝は、
・国内産業である養蚕業の保護
・帝国内の法律全書『ローマ法大全』の作成
を行い、主に生産業と、法律を管理し、帝国支配を徹底して行いました。
【2】経済的背景:Economics
ユスティニアヌス治世の地中海世界統一
ユスティニアヌス大帝は、国内産業の活性化と共に、イタリア半島全体にまで領土を拡大し、
地中海世界の統一を成し遂げました。
【3】社会的背景:Society
聖像破壊運動
経済的、文化的に栄えた東ローマ帝国ですが、聖像破壊運動(イコノクラスム)というキリストの偶像崇拝を巡る紛争が起こります。
6世紀では、キリストを想像して描いたイコン画(肖像画)が多く作られました。キリストが真正面を向いた神秘的な様子を描いたイコン画は、神聖なものとされ、権威を持つようになります。
多くのイコン画が制作されましたが、キリストの姿を想像で描いたイコン画を崇拝することは、キリスト教で禁止されている「偶像崇拝」であると、反対する信者が現れます。この事により、イコン画反対派の人達は、多くの教会に飾られていた美術作品を破壊し、イコン画を認めるか否かの論争が、8世紀から9世紀にかけて起こりました。
この論争が決着したのは、843年の宗教会議。偶像崇拝は許される事になりました。しかし、イコン画を描くことを警戒する風潮は続き、完全な解決とはならなかったようです。
蝋画法によるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)のイコン
[6世紀頃、シナイ半島、聖カタリナ修道院所蔵]
【4】技術革新:Technology
建築技術の進化
[ハギア・ソフィア聖堂]
ビザンティン美術の代表的な建築、ハギア・ソフィア聖堂は、数学的知識を持った古代の建築家によって、
教会の基本となった長方形で奥の祭壇が強調されたパシリカ様式と
丸く中心に光が入る集中式
この二つの構造を持つ新しい建築の領域を確立しました。内装も装飾に凝り、神の神秘性を感じられるものとなります。
この聖堂は532年に、5年間の短い間で再建されたことも、当時の建築家たち技能の高さを示しています。
再建後は、イスラム教徒のモスクとなりました。
【Art:美術様式】
東ローマ帝国では、ギリシャ、トルコを中心に、イタリア半島を征服する強国になったことで、古代ペルシャ、ギリシャの影響を受けた教会や絵画が作られました。
・教会の壁に飾られるモザイク画(ガラスの破片を寄せあわせて模様を表現する装飾美術の手法)
・国内で起きた聖像破壊運動の原因となったイコン画(肖像画)
・金色の背景に、ハッキリとした輪郭で描かれたフレスコ画(壁に直接絵を描く技法)
この三つがビザンティン美術様式の代表的なものです。
3、代表的な初期キリスト教美術の3つ作品!
ユニティアヌス帝と随臣 547年、サン・ヴィターレ聖堂
この作品は、サン・ヴィターレ聖堂の祭壇の左右に飾られているモザイク画です。顔の割合が小さく、長身な人体像という非人間的な表現をすることで神と同等の立場であることを示したとされます。
中央には、丸い茶色い物体、パンを持つユスティニアヌス大帝、
その隣に、黄金の盃、ワインを持つテオドーラ皇后、
その周りには役人、そして現地の聖職者や部下たちが描かれています。
神への贈り物を持ち、彼らがサン・ヴィターレ聖堂で行われる礼拝に参加する様子を描いています。
自印聖像
13世紀、ヤロスラヴリ
宗教会議でイコン画を描くことが許可され、聖像破壊運動が収まった9世紀頃、
自印像(マンデリオン)というキリストの顔を写した布を信仰する人が現れます。
偶像崇拝は許可されましたが、それを良く思わない人々も根強くいたことで、直接的にキリストを描く以外の方法を画家達は模索するようになります。偶像崇拝が禁止されていた時代に、キリストの汗を拭いた布にキリストの顔が現れたという伝説や、言い伝えを元に、キリストの顔を布に描くことで、偶像崇拝による反発を防げると考えました。
布に描くことで、神話性を増した肖像画を確立させ「神の存在に触れる」という、現実離れした表現もビザンティン美術の一つの特徴であるといえます。
聖母の嘆き 1164年、ネレズィ修道院、セルビア
この作品は、13世紀頃に描かれた、ネレジィ修道院のフレスコ画です。
聖母マリアがキリストの死を憐れ悲しみ、泣いている様子が表現されています。
これまでの、肖像画とは違い、キリストを見つめ、聖母が悲しんでいる強い感情表現が分かりやすく描かれています。
画家に自由な表現方法をもたらし、後世の画家に影響を与えた作品だと言われています。
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以上が、ビザンティン美術の解説でした。いかがでしたでしょうか。
時代が大きく揺れ動く中で、キリスト教の信仰が、文化の中心として欠かせない存在だったことがご理解頂けたかと思います。
宗教絵画の表現の幅も多様化していったのも興味深いですね。
最後までお読み頂きありがとうございました!次回の投稿もお楽しみに!
【参考文献】
・高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、1997年
・小佐野重利、小池寿子、三浦篤編『西洋美術の歴史1~6』中央公論美術出版、2016-17年
・高階秀爾監修『西洋絵画の歴史1~2』小学館、2013-16年
・早坂優子編集 株式会社視覚デザイン研究所『鑑賞の為の西洋美術史入門』2018年
・エルンスト・H・ゴンブリッチ編集株式会社河出書房新社『美術の物語』2020年
・「世界史の窓―ユスティニアヌス―」https://www.y-history.net/appendix/wh0602-007.html