ゼロアートのMickeyです。
私の好きなアーティストのひとり、クロード・モネ。
今回は、そのモネの作品のなかでも印象派の名前の由来ともなった「印象・日の出」について、
ご紹介したいと思います。
1、クロード・モネについて
「印象・日の出」という作品を見ていく前に、
クロード・モネ(1840-1926)について、
3Pの観点からさらっと、わかりやすくご紹介できればと思います。
3Pとは、Place(場所)/Period(時代)/People(人)の3つの観点です。
◆Place
・パリで生まれ、幼少期をル・アーヴル(ノルマンディ地方のセーヌ河口の街)で過ごし、主にフランスで活躍。
・「セーヌ。私は生涯この川を描き続けた。あらゆる時刻に、あらゆる季節に、パリから海辺まで・・・」との本人談にある通り、拠点はすべてセーヌ川沿い。ル・アーヴルに始まり、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ポワシー、そしてジヴェルニー。
・のちの本人回想によれば、兵役で赴いたアルジェリアで受けた「光と色彩の印象」が、モネの探求心の萌芽。
・普仏戦争を逃れたイギリスでは、のちに印象派を世界に知らしめるキーパーソンとなる画商デュラン・リュエルとの出逢い
◆Period
・1840年11月14日に生まれ、19世紀末を生き抜き、1926年12月5日、86年の生涯を閉じた。
・印象派を代表する画家であり、美術史に残る傑作を残した。
・18歳で戸外制作と出逢い油絵を始めた。70年もの長きに渡り絵を描き続けた。
・遺した作品は油彩2,000点、デッサン500点、パステル画100点。うち「睡蓮」の作品群は約300点に及ぶ。
◆People
・生まれた時からきかん坊で、じっとしていられなかった。太陽の輝き、美しい海といった大自然とともにあることを好んだ。
・画家になるきっかけは、風景画家「ブーダン」に画才を見初められ、油絵の戸外制作との運命的な出逢いを果たしたこと。
- 後にモネはこの時のことを「絵画にどれほどのことがなし得るかを理解した」と語っている。
・モネの「眼」は、印象主義の先駆者といえるオランダの画家「ヨハン・ヨンキント」との出逢いによって、完成した。
- 後にセザンヌに「モネはひとつの眼だ。絵描き始まって以来の非凡なる眼だ。」と絶賛された「眼」のこと。
- この影響について、「彼は私の真の師となった。私の眼の教育の仕上げをしてくれたのは彼なのだ。」と語っている。
・生涯、印象主義を貫き通したモネは、セーヌ川沿いの水のある風景に陽の光が当たって生じる印象を描き続けた。
- 追い求めたのは、光を通して再現された「色のある物質を見たその瞬間の印象」を、カンバスの上に再現すること。
- 理論を嫌い、直接自然を前に描き続けるなかで、結果的に「筆触分割」技法にたどりつき、「連作」を生みだした。
・晩年の作品は、光の当たったモチーフよりも光そのものが主役となり、物の明確な形態は光と色彩の中に溶融していった。
2、「印象・日の出」について:5つの観点から読み解く
さて、ではこの「印象・日の出」はどのような作品なのでしょうか?
この作品は、1872年モネが32歳の時に見た、故郷「ル・アーブルの港に訪れる朝」の景色を描いた作品です。
1874年に開かれた第一回印象派展に出品され、「印象派」の名前の由来となった作品として有名です。
この作品を描いたころのモネを取り巻く環境は、こんな感じでした。
・フランスは、晋仏戦争敗北後のパリコミューンの混乱を経て第三共和制に移行し、敗戦後の復興期で好景気
・モネ自身も、ロンドン時代に知り合った画商「デュラン・リュエル」の支援によって、経済的に余裕がうまれていた
・サロンに当選しなければ画家として認められない時代に、若き画家たちが展覧・即売する場を模索していた
・故郷ル・アーヴルも、国費が投じられ大規模な近代化が進んでいた
そんななかモネは故郷ル・アーブルを訪れ、「ル・アーブル港の風景シリーズ」を制作します。
日の出、日中、夕刻、夜と時刻を変えて異なる場所から港を描いたシリーズ作品のひとつがこの「印象・日の出」です。
現在は、マルモッタン美術館に所蔵されています。
では、この作品について「鑑賞チェックシート」の5つの要素から、この作品の画面を少し詳しく見ていきます。
1、モチーフ
- ル・アーブルの港
- 朝もやの中の日の出
- 近景に行き交う手漕ぎボート
- 遠景に拡張工事中の港とマストそびえる帆船
- 遠景に工場の煙突
2、色
- 全体的に青みがかった寒色
- 赤~灰色に溶解するオレンジ
- 濃青~灰色に溶解する青
3、明/暗
- 朝にしては暗いイメージ
- 太陽の赤がひときわ映える
4、シンプル/複雑
- 様々なモチーフが描かれ、やや複雑な印象
5、サイズ
- 48㎝×63㎝と普通程度のサイズ
モネはこの作品に関して、
「ル・アーヴルで部屋の窓から描いた作品で、霧の中の太陽と、そそり立つ何本かのマストを前景に描いた」
と述べています。
モネが描きたかったのは、湿気を含んだ空気や昇り初めた太陽の光といった、
「留めておくことが難しい印象そのもの」でした。
伝統的な風景画は水平線をキャンバスの下部に引き、空を大きく描きます。
ですがモネの風景画は、水平線をあえて上部に置くことで光が反映する水面を大きくとらえています。
そしてこの作品は、大胆な色彩と平面的な筆致による筆触分割が顕著に見られる作品です。
船や人物、波模様はすばやい筆致で簡略に描き上げられ、青い空に朝陽が照らす光景は色彩が限定されています。
3、私なりに解釈する「印象・日の出」について
モネは作評について、このような言葉を残しています。
「人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。」
そもそも、自然の本質に迫ろうとした以上の想いはないのだから、
解釈などせずただ感じればよいということでしょう。
実際この「印象・日の出」に対する解釈は、技法や構図などに限ったものが多く、信仰や信念、感情などに想いを馳せた解釈は少ないようです。
それでもあえて切り込んでいる人は、「近代」という新時代の到来と自身の未来への「大きな希望」と解釈しています。
なるほど当時の時代背景と「太陽・日の出」というモチーフを考えるとおおいに頷ける解釈ですね。
それでもいまここにモネがいたら彼は、「ただひたすらに自然の本質を追い求めただけだ」と答えた気がします。
そしてこれらを踏まえて、わたしなりにどう解釈するのか・・・。
それは、
「印象・日の出」のメッセージは、「己のありようを信じて貫け、日は必ず昇る」
です。
なにが正解なのかではなく、なにが真に美しいと自分は信じるのか。
VUCA時代に突入した今、それを美意識や感性・センスによって判断・選択することが求められている。
そんな今だからこそこの絵が、
「己の信念・美意識にしたがって生きよ、必ず日は昇る、そしてこんなにも日の出は美しいのだ」
というメッセージを送っているように感じられてならないのです。
モネは自分の目に映った景色の一瞬を切り取ってそのままカンバスに載せている、ただそれだけ。
でもこの絵でひときわ目を引くのはやはり「太陽」、そしてそのありようは「日の出」。陽が昇っているという事象。
そこが浮きあがるように描かれている、イコール、モネにとってはそこが浮き上がって見えたということ。
であるならば「信じて貫け必ず日の目を見る」という声が、モネには聞こえていたのではないかと思うのです。
そしてその声がモネの信念を強く後押しし、後世に印象派の名を残し、モネを成功に導いた。
この絵を見ると、そんなイメージが眼前に広がってゆくのです。
歴史の転換点において、新しい流れは必ず苦難に逢う。そして受け入れられた途端に賛美される。
モネはきっと、第一回印象派展に出品したこの絵が酷評を受けることがわかっていた。
そして時代の流れとともにその評価は好転し、世界に受け入れられみなに愛される未来がやってくることも。
*
いかがでしたか?
はじめてモネの作品を見たときのわたしの印象は、
「なにを描きたかったのか、なにを描いているのか・・・、なんだかよくわからないなぁ」というものでした。
確かに主題もなければ明確な輪郭や写実もない。
今思えば何も知らないわたしが見ても、よくわからなくて当然だったなと感じます。
ですが、彼が終生描き続けたのは、
水のある風景に陽の光が当たることによって生じる印象だったと知っただけで、
モチーフ一つ一つがキラキラと光輝き、水面が息を吹きこまれたように踊りだしたのです。
何も知らないからこそ何も見えずわからなかった状態に、ほんの少し水を与えるだけで、
見えなかったものが見え、感じられ、次々と新たな発見できる体験は、
なにものにもかえがたい喜びを与えてくれます。
参考文献:「近代絵画史(上)」高階秀爾、「印象派という革命」木村泰司、「印象派で近代を読む」中野京子、「1時間でわかる西洋美術史」宮下規久朗
モネの人生については以下の記事で詳しく紹介していますので、よろしければご覧くださいね。
また、モネの代表作のひとつである「積みわら」についても以下で解説しています。