ゼロアートのMickeyです。
本日は、前回ご紹介したバロック美術に続く美術様式で、
フランスを舞台にして広まった「ロココ美術様式」についてご紹介します。
【バロックについてはこちら↓】
目次
1、3Pで分析!ロココ美術とは?
ロココ美術の特徴を3つのPの観点から整理すると以下の通りとなります
◆Period(When?)
18世紀初頭に興り、18世紀後半まで続きました。
◆Place(Where?)
フランスで興り、ヨーロッパ各国にも広がりました。
◆People(Who?) & Piece(What?)
・アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721):「シテール島の巡礼」(1717年)
・フランソワ・ブーシェ(1703-1770):「ポンパドゥール夫人」(1756年)
・ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806):ぶらんこ(1767年)
※各作品についての詳細は、後述
ロココ美術様式は、ソフトな色味、曲線等を特徴として描かれる甘美で優美な絵画スタイルです。
1682年にヴェルサイユ宮殿が完成したことに端を発し広まっていった美術様式です。
2、ロココ美術の成り立ちについてA-PESTで分析する!
ロココ美術について、
どのようにして成り立ち、
様式として分類されるようになったのかをPESTの観点からご紹介します。
主な分析の舞台となるのは、18世紀のフランスです。
【1】Politics:政治的背景
ルイ14世(1701年、イアサント・リゴー画)
・17世紀後半から18世紀初頭のフランスは、ルイ14世の絶対王政の最盛期です。
・ルイ14世が造営したヴェルサイユ宮殿に、貴族を移住させます。
・これ以降、ルイ16世の治世まで、ヴェルサイユを中心に政治が行われていきます。
・ルイ15世の治世下では、ロココを代表する画家たちが描いた、愛妾のポンパドゥール夫人が台頭し権勢をふるいました。
・そして、この「贅の限りを尽くした王様の暮らし」は、かの有名なルイ16世とマリー・アントワネットの物語へとつながっていきます。
・この時期は、それまでフランスが得ていた植民地に関する戦争をはじめとして、数多くの対外戦争が行われました。
【2】Economics:経済的背景
・ヴェルサイユ宮殿の造営に加え、対外戦争での莫大な戦費がフランスを圧迫します。
・加えて、英仏通商条約を締結し、国内産業の振興を狙いました。
・しかし、イギリスとの関税交渉で不利な条件をのみ、結果として、綿工業をはじめとするフランスの産業が大打撃を受けました。
このような失策により、深刻な財政難に陥ったことが、フランス革命へと繋がっていきます。
【3】Society:社会的背景
・18世紀には、人々の生活環境が整えられ、ヨーロッパの人口が倍に増えていきます。
・そして、フランスでは、18世紀末にフランス革命がおきます。
・この背景には、アンシャンレジームという、国王を頂点とする、数少ない特権階級によって大層の人間が支配される制度への社会からの不満の蓄積があります。
・農民は苦しみ、重税を納める。フランスの深刻な財政難を引き金にして、この社会構造が大きな変革を迎える準備を整え、実際にフランス革命という「絶対王政の転覆」が起こってきます。
【4】Technology:技術革新の背景
思想の巨人 ジャン=ジャック・ルソー
17世紀後半から18世紀にかけては、
「啓蒙時代」と呼ばれ、「考え方の革新」が起き広まっていきます。
これは、つまり、
「神中心の考え方」から、人間による「理性を発揮した”知”を中心に据えるという考え方」
へと大きな思想の転換が行われ、人々の間に広まっていきました。
この考え方の普及を後押ししたのが、印刷機のさらなる普及による読者の増加です。
そして18世紀の後半には、第一次産業革命がイギリスから始まりました。
蒸気機関の発明によって、人間の労働力が機械にとって代わられるようになっていき、
19世紀の本格的な産業革命へと繋がっていきます。
以上のPESTを踏まえると、ロココ美術(ART)は、以下のようにまとめられます;
・ヴェルサイユ宮殿の完成に伴い、ルイ14世が文化面を整え始め、貴族文化が隆盛していきました
・対外戦争等もあり、王政は財政難に見舞われ、財政政策を見直す必要に迫られます
・印刷機の普及により、人間の理性と知を主眼とした啓蒙思想が広がりをみせ、王政(アンシャンレジーム)への不満が募っていきます。
・これまでの神を中心とした考え方に対して疑問が生まれ、「考え方の革新」が起きていき、これまでの旧体制を打ち破るような動きが出てきます。
つまり、ロココ美術とは、フランスが19世紀という産業革命の世紀に向かう前の、
「宮廷・貴族文化」における美術様式であり、激動を前にした
「つかの間の、優雅で、一握りの人たちのための芸術」
3、ロココ美術を代表する3人のアーティストとその代表作とは?
① アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)
・代表作「シテール島の巡礼」(1717年、油彩、129*194cm、ルーブル美術館所蔵)
1714年、ヴァトーはアカデミーのメンバーに加入することが承認されました。
その際に、アカデミーに作品を提出する必要があったのですが、
ヴァトーは他の顧客からの多数の作品制作を行うことを優先したため、多忙を理由に、3年間、作品の提出を行いませんでした。
アカデミーからの最後通告を受け、7ヶ月あまりで仕上げたのがこの作品「シテール島の巡礼」でした。
この作品は、3つのバージョンがあり、最初のものは1710年に制作されましたが、当作品は2つめのバージョンになります。
シテール島が、若者が愛を育む理想的な「愛の島」として描かれています。
このようなジャンル・テーマは、当時のどの絵画のジャンルにも属さなかったため、「フェート・ギャラント(fêtes galantes)」という新しいジャンルが創設されることになりました。フェート・ギャラント(fêtes galantes)とは、「雅宴画」と訳されます。
② フランソワ・ブーシェ(1703-1770)
・代表作:ポンパドゥール夫人(1756年、212×164cm、油彩、アルテピナコテーク(ミュンヘン))
ブーシェを支援した最大のパトロンであり、ルイ15世の交妾だったポンパドゥール夫人の肖像画。
そのような寵愛を受け、国王の筆頭画家や王立絵画彫刻アカデミー院長といった役職を歴任しました。
③ ジャン・オノレ・フラゴナール(1732-1806)
・代表作「ぶらんこ」(1767年、油彩、81 × 64.2 cm、ウォレス・コレクション)
ロココ美術の最後を彩る代表的な画家フラゴナール。教科書などでも目にしたことがあるかもしれません。
この「ぶらんこ」にのる婦人と、その姿を下から覗き見る愛人の貴族の男性を描いています。
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このようにロココの絵画は、「甘ったるいなぁ」という印象を与える「優雅な美術」だということがお分かりいただけたかと思います。
ロココは宮廷文化と密接に結びついていたため、フランス革命という市民革命によりこの美術様式自体が、激しい非難の的になりました。フラゴナールの最後も非常に惨めなものだったと言われています。
いかがでしたか?
18世紀のフランス絶対王政下において発達した独特な文化がロココ美術の特徴でした。
そして、18世紀のフランスにおける最大のイベントであるフランス革命を契機として、
ロココ美術にとって代わるのが、「新古典主義」です。ナポレオンの登場と密接に結びついた美術様式です。
次回は、「新古典主義」について紹介していきます。