こんにちは!ゼロアートのMisaです。
前回は、新古典主義、ロマン主義というフランス美術界の2大派閥について紹介してきました。
【参考記事はこちら↓】
今回は、19世紀の画家ギュスターヴ・クールベに代表される美術様式の「写実主義・リアリズム」について、ご紹介します。
目次
1、写実主義(リアリズム)とは?3Pで概観する!
写実主義(リアリズム)を3つのP(Period/Place/People,Piece)の観点から整理すると以下の通りです;
◆Period(When?)
19世紀半ば頃
◆Place(Where?)
フランスに興りました。
◆People(Who?)&◆Piece(What?)
以下の2人が代表的な人物として挙げられます。
ギュスターヴ・クールベ
・「オルナンの埋葬」(1849-50年)、オルセー美術館所蔵
・「画家のアトリエ」(1854-55年)、オルセー美術館所蔵
ジャンフランソワ・ミレー:
・「落ち穂拾い」(1857年)、オルセー美術館所蔵
・「晩鐘」(1859年)、オルセー美術館所蔵
ただし、ミレーは、自然主義とも呼ばれ、その際はコロー等の戸外の様子を描いた画家たちとくくられることもあります。
以上がリアリズムの3Pとなります。
◆リアリズムとは?
以上の概要を踏まえ、写実主義(リアリズム)とはどのような特徴がある美術様式なのでしょうか?
結論から言えば、写実主義(リアリズム)とは、
「身の回りにある現実的な対象を、ありのままに描くこと」
です。
「え?そんなの当たり前じゃないの?」と思うかもしれませんが、当時のフランス美術界は、これが当たり前ではありませんでした。
つまり、当時のフランスの美術業界では、
「理想化された美を描くこと」が当たり前であり、また、描く対象によってヒエラルキーがありました。
つまり、
神や神話などをモチーフとした「歴史画」を描くことが、
もっとも貴いものとして考えられ、美しいとされていました。
しかし、クールベはこの伝統に異をとなえます。
「私は天使を見たことがないから描かない」
この言葉に代表されるように、
彼は1850年前後のフランスの「二極化した現実」を描きます。
それこそが、
「農民」や「石工」、そして、「当時のフランスの現実」を描いた作品へと繋がっていきます。
これが、「写実主義」であり、「現実主義」とも言われる「リアリズム」の特徴です。
2、A-PEST分析でわかる!写実主義(リアリズム)はどのようにして生まれたのか?
このリアリズムの誕生の背景ですが、以下の4つの観点から分析して挙げてみましょう;
1、Politics:政治的背景
・政権の入れ替わりが頻発する時代
1848年革命の勃発により、ヨーロッパにおける民族運動が広がりを見せ、ヨーロッパが大きな変革期を迎えていました。
(マルクスによる「共産党宣言」が行われたのも1848年ですが、クールベ自身は共産主義に大きな影響を受けていたようです)
フランスでは、国王ルイ=フィリップの政権が倒され(二月革命)、1830年から続いていた7月王政が終わりを告げます。これに代わったのが、1852年に発足した「ナポレオン3世」による第二帝政でした。
2、Economics:経済的背景
・産業革命の完成
このナポレオン3世の第二帝政時に、産業革命が完成を迎えます。
ナポレオン3世は、自由貿易主義を標榜し、フランスの保護された国内産業を、諸外国との競争にさらすことを決定しました。これにより、国内の産業革命を強く推し進めた結果、銀行や鉄道・通信網等が整えられていきました。このようなインフラ等への公共投資や、産業革命による投資の活性により好況でした。
3、Society:社会的背景
・パリ改造
パリでは、衛生環境の改善等を目的とした大規模な都市開発「パリ改造」が行われました。
その結果、生活環境は大きく改善し、人口が急増していきます。
・1855年パリ万博
ナポレオン3世の「国民からの支持を得ること」という政治的意図もあり、万博を開催。
国民はこの試みに大いに感銘を受けたとされています。
4、Technology:技術革新の背景
・産業革命による人、モノ、金、情報の革命
産業革命による技術革新が進みました。
鉄道の施設の大幅な延長による移動革命が、人々を早く遠くまで運べるようにしました。
また、これにより、モノ、金、情報も同様に流れが加速していきます。
・写真の普及
写真技術の発展により、画家の「記録を行う役割」がこの技術革新にとって代わられるようになっていきました。1840年代には肖像写真ブームが起き、画家がそれまで担っていた「記録としての肖像画」の役割が代替されていきました。
以上のような背景から、
・不安定な政治情勢の中、様々な革新によって環境がどんどん変化していく時代であり、
・同時に、伝統やヒエラルキーに対する反骨精神を伴って物事が刷新されていった時代。
・そのひとつが、共産主義的な思想を持ったアーティスト、クールベの登場。
・「権力への反発」というエネルギーが、リアリズムという反体制的な美術様式という形を生み出した。
このリアリズムという「描く対象の革命」は、この後に続いていくマネや印象派たちの「革命の扉」を開いた、最初の一歩となったのでした。
3、写実主義(リアリズム)を代表する2人のアーティストとその代表作とは?
最後に、写実主義(リアリズム)を代表するアーティスト2人を、簡単にですが、ご紹介します。
①ギュスターヴ・クールベ(1819年6月10日 – 1877年12月31日)
オルナンの埋葬(1849年、油彩、3.1*6.6メートル、オルセー美術館)
画家のアトリエ(1854-55年、油彩、3.6*6メートル オルセー美術館)
革命画家・クールベ。
彼の描いた「現実的な写実世界」は、18世紀のロココ美術の時代から続くフランスのサロンという伝統を打ち破る破壊力を持った作品でした。
それこそが、「オルナンの埋葬」と「画家のアトリエ」です。
なぜこの2枚の作品が美術に革新をもたらしたのか?
結論から言えば、「描く対象を革命した」という点です。詳細は別記事にゆずりますが、
クールベの反骨精神は、フランスの硬直化した美術業界に大きな風穴をあけました。
日本でもいくつかのクールベの作品を鑑賞することができます。国立西洋美術館(上野)では、常設展で展示されています。
【国立西洋美術館所蔵品検索】
http://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_1_top.do
※クールベの詳細については、以下の記事で解説しています。
②ジャン=フランソワ・ミレー(1814年10月4日 – 1875年1月20日)
「種まく人」(1850年、油彩、101.6 × 82.6 cm。ボストン美術館)
「落穂拾い」(1857年。油彩、83.5 × 110 cm、オルセー美術館)
「晩鐘」(1857-59年、油彩、55.5 × 66 cm。オルセー美術館)
バルビゾン派として紹介されることが多いミレーですが、広義の意味では写実主義に含まれます。
そのミレーの絵画は、日本人の多くの人にとって、とても親しみがあるのではないでしょうか?
その代表作を3つあげるとするならば、「種まく人」、「落穂拾い」、「晩鐘」です。
これらは、「貧しい農民」を描いたことによって、その「社会の構造を非難するものだ」と捉えられ(曲解され)、議論の的になりました。
ミレーにそのような意図はなかったと言われていますが、このような議論が起きること自体が、そのような実情があったことを証明していると言えるでしょう。
ところで、代表作の「落穂拾い」と「種まく人」の2枚については、別のバージョンではありますが、山梨県立美術館で実際に鑑賞することが可能です。奇跡とも言えるでしょう。この2点以外にもミレーの作品がいくつか所蔵されていますので、ぜひ美術館に足を運んでみてください。
【山梨県立美術館ホームページ】
https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/permanent/collection/
※ミレーの詳細については、以下の記事で解説しています。
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以上が写実主義(リアリズム)の概要でした。
いかがでしたでしょうか?
次回は、みなさんも大好きな印象派についてご紹介します。