ゼロアートのMickeyです。
私の好きなアーティストのひとり、「光の画家」とよばれた、クロード・モネ。
前回は、連作「積みわら」シリーズのひとつ「積みわら(日没)」についてご紹介しました。
そして今回は、印象派を象徴する画法を完成させた「ラ・グルヌイエール」をご紹介したいと思います。
1、モネについて
「ラ・グルヌイエール」という作品を見ていく前に、
クロード・モネ(1840-1926)について、3Pの観点からさらっと、ご紹介できればと思います。
3Pとは、Period(時代)/Place(場所)/People(人)の3つの観点です。
◆Period
・モネが生きたのは「ベル・エポック」。パリが繁栄した華やかなこの時代には、様々な新しい美術様式が生まれました。
・リアリズムという革命が興った頃に生まれたモネは、この革命を発展させた「印象派」の巨匠として一時代を築きます。
・印象派が興った1860年代にはフランスの産業革命はほぼ完成し、パリは急激に近代化し物質的にも豊かでした。
・1867年にパリ万博で日本が初出展した結果、その独自性等からヨーロッパでジャポニズムが流行し、「浮世絵」が、モネらフランスの絵画界に大きな影響を与えていた、そんな時代です。
・やがて印象派も終わりを迎え、次々と新しい芸術運動が興りますが、モネは生涯印象主義を貫きました。
◆Place
・パリで生まれ、幼少期をル・アーヴル(ノルマンディ地方のセーヌ河口の街)で過ごし、主にフランスで活躍します。
・拠点はすべてセーヌ川沿いで、生涯この川を描き続けました。ル・アーヴルに始まり、アルジャントゥイユ、ヴェトゥイユ、ポワシー、そして終の棲家ジヴェルニー。
・ヨーロッパ中を旅し、気に入った土地に滞在しては風景画を描きました。
・兵役で赴いたアルジェリアで受けた「光と色彩の印象」が、モネの探求心の萌芽となりました。
・普仏戦争を逃れたイギリスで、印象派を世界に知らしめるキーパーソンとなる画商デュラン・リュエルと出逢います。彼がニューヨークで開いた印象派展が大成功し、モネはフランスより先にアメリカで、富と名声を手に入れました。
◆People
・1840年11月14日に生まれ、19世紀末を生き抜き、1926年12月5日、86年の生涯を閉じました。
・生まれた時からきかん坊でじっとしていられず、太陽の輝き・美しい海といった大自然とともにあることを好みました。
・風景画家「ブーダン」に見初められ、油絵の戸外制作との運命的な出逢いを果たし、画家の道に進みます。
・モネの「眼」は、印象主義の先駆者といえるオランダの画家「ヨハン・ヨンキント」との出逢いによって、完成しました。
・印象派の仲間たち、なかでもルノワールとの協創によって、印象派を象徴する技法「筆触分割」にたどり着きます。
・生涯追い求めたのは、光を通して再現された「色のある物質を見たその瞬間の印象」をカンバスに再現することでした。
・直接自然を目の前にして、異なる時間・季節・天候の光を描き分け続けるうちに、自然と「連作」が生まれました。
・晩年は、光の当たったモチーフよりも光そのものに主題が移り、物の明確な形態は光と色彩の中に溶融していきました。
・代表作には、「ラ・グルヌイエール」、「印象・日の出」、「積みわら」連作、「睡蓮」連作などがあります。
・遺した作品は、油彩2,000点、デッサン500点、パステル画100点。うち「睡蓮」の作品群は約300点に及びます。
動画でも解説しています!
2、「ラ・グルヌイエール」について
さて、ではこの「ラ・グルヌイエール」とはどのような作品なのでしょうか?
1868年8月、モネはルノワールの招きでセーヌ湖畔の新興行楽地、ラ・グルヌイエールに赴きます。
そこで2人の青年はカンバスを並べ、近代化を象徴するようなキラキラとまばゆいばかりの湖畔の風景を描きました。
印象主義に忠実に、水面に反射する陽の光の効果の一瞬を鮮烈に封じ込めた作品です。
この作品が描かれたころのフランスはこんな状況でした。
・技術革新・近代化が進み、都市づくりが盛んにおこなわれ、物質的にも豊かに
・ナポレオン3世の第2帝政は終焉に向かいはじめていたが、人々は明るい未来を信じていた
・鉄道網の発達により、人々は気軽にちょっとしたリゾート地への遠出や行楽を楽しめた
・行楽地ノルマンディー地方への発着駅であるサンラザール駅と、近代化を象徴する蒸気機関車
そしてモネ自身を取り巻く状況はこんな感じ。
・印象主義という芸術活動を世間に認めてもらおうと、日々研究を重ねていた
・当時認められるためにはサロンに入選する必要があり、1865年25歳からサロンに挑戦
・比較的伝統的なスタイルで描いた作品は順調に入選するが、印象主義を推し進めるほどに苦戦
・1867年に未婚のまま長男ジャンが生まれる、父からの仕送りは途絶え、経済的に困窮
・1869年、1870年と続けて落選して以後しばらく、サロンへの出品を断念
現在この作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。
それでは、「鑑賞チェックシート」の5つの要素から、この作品の画面を少し詳しく見ていきます。
- モチーフ
描かれているのは、水遊びに興じる人々がいるリゾート地の景色。人物も自然や風景の一部として描かれている。
描かれた場所は、パリ近くブージヴァル近郊セーヌ川の河畔にある新興行楽地「ラ・グルヌイエール」
・全体の2/3を占める湖面とそこに映る様々な影(木々、小舟、桟橋、浮島で踊る二人の女性の影など)
・画面中央:浮島。その中央に1本の木。思い思いに楽しむ9人の人物(強く陽があたった人物は光に溶解)
・中央左手:浮島のそばで水浴する2人の男性。浮島で踊る2人の女性と会話しているようにも見える。
・中央から2本:湖岸と浮島をつなぐ小径。浮島の右手にある小径を浮島に向かって歩くひとりの紳士。
・画面右手:浮島を見下ろすように浮かぶカフェと6名の人物(強く陽があたった人物は光に溶解)
・画面前景:見え隠れする3艘の小舟(陽の光が当たるほどに輪郭はぼんやりと)
・画面左手奥:最前面に見え隠れする青々と茂った大木の葉
・画面左手奥:遠景左奥に小さく描かれた2艘の小舟と揺られる人影
・画面奥:遠景の湖岸に陽の光を浴びて黄色味を帯びた木々の群れ、その奥に広がる空
- 色
・緑と黄とのコントラストが印象的
・湖面は青緑~緑、その上に併置された白色
・陽に照らされた木々とその湖面への映り込みは黄色
・中央の浮島の肌色と、アクセントのようなオレンジ、目の覚めるような水色
- 明/暗
・全体として明るく輝くイメージ
- シンプル/複雑
・様々なモチーフが描かれ、やや複雑な印象
- サイズ
・74.6㎝×99.7㎝と普通程度のサイズ
この絵は、1870年のサロンに出品して落選してしまった作品ですが、
印象派の特徴的な画法である「筆触分割」をルノワールとともに確立した作品でもあります。
このころのモネは、ルノワールとともに水面に反射する陽光の効果と表現の研究に没頭していました。
絵の具は混ぜると濁ってしまい、明るさがなくなっていきます。
それでは戸外で陽の光をあびてまばゆいばかりに輝く風景を忠実に描くことができない。
そこでモネたちは、絵の具を混ぜないことで明るさを再現しようとしました。
そしてその明るさを保ったまま、原色の絵の具だけでは表現できない色彩や印象をも再現したい。
その探求心の結果うまれたのが、この筆触分割という画法です。
彼らは感覚に忠実にこの手法を生み出しましたが、その根底にあるのは「視覚混合」という現象でした。
となりあわせに置かれた二つ以上の色彩は、遠くから見ると混じり合ってひとつの色に見えるのです。
そうやって描かれたこの「ラ・グルヌイエール」。
波打つ湖面に反射する陽の光が、まばゆく美しく再現されています。
3、私なりに解釈する「ラ・グルヌイエール」について
モネは作評について、このような言葉を残しています。
「人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。」
そもそも、自然の本質に迫ろうとした以上の想いはないのだから、解釈などせずただ感じればよいということでしょう。
そんなモネのこの作品をあえて私なりに解釈するならば、それはひとこと「希望」です。
さざめく湖面に降り注ぐ陽の光。モネの喜びと希望が満ち溢れている一枚だと感じます。
朋友ルノワールの死を深く悲しんだ79歳のモネが、
1919年12月頃にフェネオンに宛てて書いた手紙に、この頃を回想したと思われる一節があります。
私がルノワールの死をどれほど悲しんでいるか、おわかりになるでしょうか。
彼と一緒に私の人生の一部も旅立ってしまいました。
この3日間というもの、彼と過ごした若いころの闘いと希望の日々がしきりに胸に甦ってきます。
モネは友人たちとの間に、うわべだけでない深い愛情を育んだことでも知られています。
なかでも同い年のルノワールとは、特に青年時代に、共にカンバスを並べて絵画制作するほどの仲でした。
やがて目指す方向が変わっていき袂をわかつことになるふたりですが、
ひたすらにとことんまで印象主義を突き詰めたこのころの日々は、貧しくも希望に満ち溢れた日々だったに違いない。
この作品には、美しい景色とともにその情熱が封じ込められているように感じます。
*
いかがでしたか?
わたしはこの絵が大好きです。
ある一瞬の湖面のゆらめきを切り取ると、たしかにこう見える。むしろこうしか見えない!!
少し距離を取ってこの絵をみたときにそう感じて以降、モネの作品の中で最も好きな絵の一枚になりました。
なかなか世間に認められず、食にも困るような暮らし向きのなか、仲間と家族に恵まれ、後進達には尊敬されていた。
そんなモネが、夢にまで見たあこがれの地ラ・グルヌイエールの湖畔で、心から美しいと感じた景色を、朋友ルノワールとカンバスを並べて描いた作品。
近代化で庶民も余暇を楽しめるようになった時代の輝かしい一瞬を見事に切り取った、きらめく一枚だと感じるのです。
写実性という視点で見ればまったく正確になど描写されていないその絵にこそ宿るキラメキ。
モネを知れば知るほど、この絵は輝きを増し、破壊的な力でもって私の心を躍らせます。
モネには桁外れの技量と審美眼があった。
時代が求めるものを描きさえすれば、若くしてその才能を認められ生活に窮することなどなかったであろうに。
それでも彼は、自らの眼を信じ、
まさに近代化が進む今しか刻むことのできないキラメキとワクワク感をカンバスに描きこんでいった。
見つめていると吸い込まれそうになるほどにきらめく湖面。
耳を澄ますと風の音や、人々の歓喜の声まで聞こえてきませんか?
参考文献:「近代絵画史(上)」高階秀爾、「印象派という革命」木村泰司、「印象派で近代を読む」中野京子、「1時間でわかる西洋美術史」宮下規久
モネの積みわらについても解説しています!