こんにちはZERO ARTのMickeyです。
前回は、現在のトルコである東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の王となったユスティニアヌス皇帝が地中海全体のギリシャ、ペルシャなどを支配したことで生まれた、オリエンタルな要素を含むビザンティン美術についてご紹介しました。
ビザンティン美術とは何か?時代背景、代表的な作品を分かりやすく解説!
今回は、現在のヨーロッパ人の祖先と言われる民族、ゲルマン人によって生み出された美術、初期中世美術のご紹介です。
3世紀末頃、ユスティニアヌス皇帝は現在のフランス、西ローマ帝国をも滅亡させ支配力を広げます。しかし、4世紀に入ると、ヨーロッパの北部で農耕を営んでいた部族、ゲルマン民族が勢力を強め西ヨーロッパ(現在のアイルランド)に移動し始めます。これが、有名なゲルマン民族の大移動です。
このことで、ゲルマン人の独自の民族文化が西ヨーロッパにもたらされ、初期中世美術が生まれる事になります。
先ずは、初期中世美術の基本的な内容、時代、場所、作品についてご紹介します。
目次
1、初期中世美術って何?3つのPから分析!
◆Period (When?)
5世紀末~11世紀
◆Place(Where?)
・西ヨーロッパ(アイルランド)
・フランク王国(フランス)
・東フランク王国(ドイツ)
◆Pieces (What ?)
①『ケルズの書』キリストのモノグラム
②鷲型留め金
③聖マタイ 福音書写本より
④『オットー三世の福音書』
初期中世美術の主な年代、場所、作品は以上となります。
これらを踏まえた上で、政治、経済、社会、技術革新に分けて、どんな時代の中で生まれた美術なのか、更に理解を深めていきましょう!
2 初期中世美術の時代背景は?P-E-S-Tで読み解き!
【1】Politics : 政治的背景(→3つの王朝による政権交代)
※主に現在のアイルランド、フランスからドイツへと政治背景が入れ替わる為、3つに分けて政治的背景を説明していきます。
西ヨーロッパ(現在のアイルランド)とフランク王国(現在のフランス)
ゲルマン民族中心のメロヴィング朝
4世紀から11世紀にかけ、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンディナヴィア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ語族、ゲルマン語派に属する言語を母語とした諸部族であるゲルマン民族は西ローマ帝国が支配する西ヨーロッパに大移動します。同時期にインド・ヨーロッパ語族ケルト語派に含まれる言語を用いた民族に似た、信仰、伝統、文化を共有した民族、ケルト人も移動します。この民族移動により、西ヨーロッパには、多くの国や領土が出来て分裂。西ローマ帝国が滅亡し、大移動して来た民族は、4世紀中盤に、最初の王朝となるメロヴィング朝をフランク王国に築きます。美術史上ではヨーロッパ全体に土着の宗教的な芸術が本格的に根付く重要な時期となりました。
フランク王国(現在のフランス)
文明開化をもたらしたカロリング朝の誕生
7世紀後半には、カール大帝が、滅亡していた西ローマ帝国を復活させ、分裂するメロヴィング王朝を終焉に追い込みます。そこで、キリスト教の信仰を強化したカロリング朝を確立しました。安定した社会が実現し「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれる文明が生まれ、古代ローマの文化の復興が積極的に行われました。
東フランク王国(現在のドイツ)
オットー朝(ドイツ王国)の誕生
9世紀末、ノルマン人(ヴァイキング)が来襲し、カロリング朝は解体してしまいます。この後、政治の中心は西から東に移り、現在のドイツ王国の創始者、オットー1世によるオットー朝が築かれました。
【2】Economics: 経済的背景
農業経営による経済活性化
11世紀以前までは、農業は奴隷がやるべき仕事として捉えられていましたが、各家庭に農地が割り当てられるようになると、国民全体が一定の賃金と労働を確保する事が可能となり、安定した社会が実現されていきました。
【3】Society:社会的背景
教育改革
ゲルマン民族の侵略により社会が不安定だった時期は、子供のみならず、貴族、王族さえも教育を受ける事が出来ない状況でした。しかし、それを懸念したカール大帝は、文法、修辞、弁証法、算術、幾何(数学)、天文、音楽を必須科目とし、各地域にある教会に学校を設立していた古代ローマ人の教育方法を取り入れる方針をとりました。
この教育改革は、奴隷から上流階級まで平等に学ぶ場を提供しただけでなく、キリスト教の信仰も強化され、宗教文化が芽生える事になりました。
更に、この教育普及と農業の活性化による社会の安定から、1世紀と比べ3倍近く人口が増加しました。
【4】Technology:科学技術
水車の活用
古代ローマ時代にも水車は存在したものの一般的ではありませんでした。しかし、7、8世紀から各種産業に取り入れられ、普及したことで、経済成長が促進されました。
*
以上が初期中世美術の時代背景となります。
①西ヨーロッパへのケルト文化到来期
②民族文化を引き継いだメロヴィング朝
③文明が開化したカロリング朝
④ドイツ王国が確立したオットー朝
まとめると、以上の時代に分けられます。他民族の侵略による争いと共に王朝が入れ替わり、社会は目まぐるしく変化していきました。
美術様式において、土着文化が浸透した事により、初期中世美術は、後のロマネスク美術の基盤を作ったとされます。
第三章では、以上に挙げた4つの時代に分けて有名な美術作品について順番にご紹介していきます。
3、初期中世美術の作品は?4つの時代構成に分けて紹介!
1アイルランドのケルト文化時代
⇒ 西ヨーロッパのアイルランドに元々住んでいたケルト民族によって、5世紀以降に起きた民族移動の影響から、独自のキリスト教文化が色濃く表現された美術が生まれました。このことから修道院も多く建てられ、抽象的な渦巻き模様の装飾を特徴とした福音書や装飾写本も生み出されました。
①『ケルズの書』キリストのモノグラム
イングランドに在住していたサクソン民族とアイルランドのケルト民族の修道僧や伝道師がキリスト教布教の為に作った聖書の写本である三大福音書には、『ダロウの書』『リンディスファーンの書』『ケルズの書』があり、そのひとつがこの『ケルズの書』です。この人間業とは思えないほど繊細に描かれる複雑な組紐文様が神秘的で美しい為、今では「最も美しい本」としてアイルランドの国宝に認定されています。
2メロヴィング朝
⇒6世紀前半、ヨーロッパ大国のフランク王国(現在のフランス)の王クローヴィス王は、キリスト教文化を推し進め、その結果、宗教的な表現を交えたラテン文化が広まります。
②鷲型留め金 6世紀前半
メロヴィング朝の美術作品で有名なのが、青銅(ブロンズ)の中にガラスを敷き詰めるクロワゾネ技法。有名なのは、鳥のモチーフを使った貴金属工芸です。他には、魚の形をしたものも多く見られます。
この技法は、後期印象派画家のポール・ゴーギャンが影響を受ける事となります。彼は、フランスのブルターニュ地方にあるポンタヴェンで、はっきりとしたラインと平坦な色を使って描く事を特徴とするクロワゾニズムと呼ばれる絵画グループを結成しました。
ポール・ゴーギャン 『説教の後の幻影』1888年
後期印象派の美術様式とゴーギャンの人生について書いた記事も掲載していますので、是非ご覧ください。
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ポスト印象派の画家ポール・ゴーギャンの人生と4つの代表作品について解説!
ポスト印象派とは何か?3人の革新的画家と作品を3つのポイントで紹介!
3カロリング朝
⇒8世紀、カール大帝が西ローマ皇帝の称号を受けとり誕生したカロリング朝という新しい時代は「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれる程、華やかになりました。古代ローマ帝国の文化の復興を目指し、その古代的要素は写本挿絵(手書きで複製された本)に表れます。
③聖マタイ 800年頃 福音書写本より、ウィーン美術史美術館
キリストに神の後継者を伝えられた聖マタイを描いている写本挿絵です。ケルト文化が到来した時期の装飾写本と比べて、人物像や景観が明確になっています。このように、カロリング朝美術には、古代ローマ後期の美術様式に感情を吹き込むような表現を取り入れ、宗教的なテーマを描いた写本が多く作られました。
下の『聖マタイ』を見て頂くと、この表現が更に激しくなっていくのが分かります。同じ人物を描いているとは思えない程、描き方が変化しています。
『聖マタイ』830年頃 福音書写本より
810年に描かれた聖マタイは、冷静に神からのお告げを聞き取り、その言葉を一文字ずつ書き取っている様子が見て取れますが、830年に描かれた物は、髪や服が波立ち、今すぐにでも書き留めなければいけないという高揚感や焦燥感が全面に表われています。この服のひだや入り組んだ筆使いもケルト文化に現れる文様に影響を受けていると言われています。
4オットー朝
⇒カロリング朝で古代文化復興が再び重要視され、後の美術様式「ロマネスク美術」の基盤を作った時代です。古代ローマ的な古典的な表現を受け継ぎつつ、色彩や人物の感情表現の自由度が増していきました。
④『オットー三世の福音書』ペテロの足を洗うキリスト 1000年頃
これは、最後の晩餐後に、キリストに仕えていた12人の弟子の一人であるシモン・ペテロの足を洗う場面を描いています。
現在は「足を洗う」という表現は、今までの行いを見直し、生活を改めるという意味として捉えられますが、当時は奴隷が行う低俗な行為という意味合いが強かったとされます。
その為、主であるキリストが弟子の足を洗う事は、当時の人達からしたら信じられない行為です。この場面は人々の心の汚れを取り除き、平等に清め合う博愛の精神を処刑前に体現して伝えた、キリストの偉大さを象徴していると考えられます。
福音書には、以下のようなキリストとペテロのやり取りが残されています。
「ペテロはイエスに言った、『私の足を決して洗わないでください。』イエスは彼に答えられた、『もしわたしがあなたの足を洗わないのなら、あなたは私と何の係りもないことになる』。ペテロはイエスに言った、『主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も』」
この会話から伝わるキリストと弟子との堅い師弟関係を、ハッキリとした輪郭線で明確に表現する事で強いメッセージ性のあるものとし、作品を見た人にキリストの偉大さを訴えていると言えるでしょう。
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以上が初期中世美術についてのご紹介です。いかがでしたか?
ゲルマン民族を中心とする民族の侵略争いは、人々にとっては恐ろしい時代ですが、美術という視点では、従来の宗教美術(ビザンティン美術)には無い、民族的で新しい表現技法が根付く事になりました。
現代においても、新型コロナウィルス感染拡大で、先が見えない辛い時代とであると言えます。しかし、外出自粛期間中に家でアートを楽しむ人が増えている事や、デジタル機能を用いた「デジタル・アート」やARを使った作品「ARART」という新しいアートの分野が生まれています。
どんな苦しい時代でも、美術は生まれ、変化し、引き継がれていくのですね。
次回は、ロマネスク美術を取り上げます。
【参考文献】
・高階秀爾、三浦篤編『西洋美術史ハンドブック』新書館、1997年
・早坂優子編集 株式会社視覚デザイン研究所『鑑賞の為の西洋美術史入門』2018年
・エルンスト・H・ゴンブリッチ編集 株式会社河出書房新社『美術の物語』2020年
・中井義明著 株式会社ミネルヴァ書房『教養のための西洋史入門』2007年
【参考URL】
世界史の窓 ケルト人
https://www.y-history.net/appendix/wh0103-089.html(2021年2月15日)
アイルランドの国宝『ケルズの書』とは何か
https://call-of-history.com/archives/20862 (2021年3月1日)
牧歳の書
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E5%BC%9F%E5%AD%90%E3%81%AE%E8%B6%B3%E3%82%92%E6%B4%97%E3%81%86(2021年2月28日)